←8章フィナーレにもどる
<読まなくても支障ありません>
あ。今日カウンター”1234567” 出そうですね。
7月に独立したぼくちゅうも、無事というか、ぜんぜん無事じゃなく年を越しまして、ようやく8章を終了するにいたりました。
長らくのおつきあい、ありがとうございました。
最終話は深夜のアップ後、満足できず、2度にわたって加筆しています。深夜アップと同時にご覧いただいたかたは、もう一度お読みいただくと、多少、ちがうフィナーレを味わうことができます。
<読まなくても支障ありません>
あ。今日カウンター”1234567” 出そうですね。
7月に独立したぼくちゅうも、無事というか、ぜんぜん無事じゃなく年を越しまして、ようやく8章を終了するにいたりました。
長らくのおつきあい、ありがとうございました。
最終話は深夜のアップ後、満足できず、2度にわたって加筆しています。深夜アップと同時にご覧いただいたかたは、もう一度お読みいただくと、多少、ちがうフィナーレを味わうことができます。
8章は、事前に宣言いたしましたように、根本的には「クリスマスプレゼント」で、恋愛とロザリオの謎解きが、さら~っと進んでクリスマスに遭難を迎える(へんな言い方ですが)予定だったものです。
しかし、7章を終えて、予告を掲載した後あたりからいただいたメッセージによりまして、急遽方向転換。本来は流すはずであった「キリスト教徒につけこんだ性的暴力事件」をかなり前面に出すことにいたしました。
おかげさまで戦々恐々、賛否両論飛び交う中で「コメディ小説」が進んで行くという、ちょっと今までにはない展開となってしまいました。
そして問題の「8章-第23話」を迎えます。
この問題につきましては、第23話中でじゅうぶんに説明はしたつもりですので、ここではふれません。
ただ「誰かは伝えなくてはならない」ことだろう、と、思いました。
そういう意味では、7章よりもはるかに教訓めいていて、しかも身近(特に女性にとっては)です。
ある意味、ぼくちゅうならでは、という特色を生かしたもの、と、言えないでもありません。
他の多くの小説、ブログで、こういうことをとりあげるのはむずかしいでしょう。
「ロザリオの謎」は、ひとつのロザリオから、隠れキリシタン、天草四郎の乱まで遡るわけですが、キリスト教と仏教の接点を見いだす為に書いたフィクションです(ただし森田くんのお祖母さんがキリスト教徒であったことは事実みたいです)。
信じがたいほどに残酷なキリシタンへの弾圧は、1860年まで続いていて、僕たちにはまるで影響がないように思われたものが、実際にはなんらかの形でかかわっていて、再考するとそんなに昔の話でもない、ということを表現したかったのと、歴史を遡るミステリーみたいなものができないか、と考えてのことでした。
いかがでしたでしょうか。
●「大人」としての駐在さん
8章には、冒頭の駐在所破壊以外に、あまり駐在さんが登場しません。
これはいたずらに駐在さんを登場させてしまうと「大人としての駐在さん」が薄まってしまうからです。
つまり、フィナーレにある駐在さんが僕たちを初めてぶつシーン。
このシーンの重要性を薄めないためのことで、駐在ファンのかたには、まことに申し訳ないことです。
所詮どんなにいきがっても、子供たちは大人の加護があるからこそ、自由にふるまえること。
その重要性みたいなものが伝わればいいなぁ、と。
今、警察官が高校生を殴ったら、間違いなく全国ニュースです。
でも、僕たちは突出した悪戯っ子でしたから、実際は怒る大人がたくさんいてくれました。
西条くんが最後に言う台詞「たまにはうたれたいパンチもある」。
勘違いかも知れませんが、今の子供たちも、誰かに叱られたいんじゃないか、という思いがありました。
また、そういう世の中のほうがよかったなぁ、とも。
犯罪の低年齢化は、社会問題になっていますが、それは政治や警察のせいだけではないのかも知れません。
●「フィナーレ」について。そして「グランドフィナーレ」
ぼくちゅうでは、章最終話を「フィナーレ」と呼び続けて来ました。
これは音楽などの最後を言うイタリア語に起源を発する「フィナーレ=ファイナル」からとっているわけですが、当然単なる「終わり」とは意味が異なります。
劇や音楽がそこに集約されて終わって行く、そんな感じを表す最もいい言葉と思って使っています。
そして各章にフィナーレがあるように、グランドフィナーレ「最終章-最終話」があります。
ここにきて、少し意識しはじめました。
本来は5章終了後に入るはずでしたが、コメントでいただいた「継続要請」にうたれまして、6~8章を追加してきました。
結果としては小説としておもしろくなってきたように思うので、悪くはないと思っているのですが、半フィクションとしてきた本来の「ぼくちゅう」とは、少し違って来ました。
いえ。むしろ前編のほうが、細かいフィクション部分は多いのですが、やはり後ろにくるにつれ、いろいろな話をつないだり、創作しなくてはならなくなります。そうしないと話が笑えなくなってしまうからなのですが。
すでに最終章-最終話「グランドフィナーレ」は、ほぼできあがっています。これは5章後に書いたものなので、そのままとはいかないのですが。
そこに駐在さんのラフ画があって、少し哀しそうな顔をしています。
●そして9章へ
つづく→
しかし、7章を終えて、予告を掲載した後あたりからいただいたメッセージによりまして、急遽方向転換。本来は流すはずであった「キリスト教徒につけこんだ性的暴力事件」をかなり前面に出すことにいたしました。
おかげさまで戦々恐々、賛否両論飛び交う中で「コメディ小説」が進んで行くという、ちょっと今までにはない展開となってしまいました。
そして問題の「8章-第23話」を迎えます。
この問題につきましては、第23話中でじゅうぶんに説明はしたつもりですので、ここではふれません。
ただ「誰かは伝えなくてはならない」ことだろう、と、思いました。
そういう意味では、7章よりもはるかに教訓めいていて、しかも身近(特に女性にとっては)です。
ある意味、ぼくちゅうならでは、という特色を生かしたもの、と、言えないでもありません。
他の多くの小説、ブログで、こういうことをとりあげるのはむずかしいでしょう。
「ロザリオの謎」は、ひとつのロザリオから、隠れキリシタン、天草四郎の乱まで遡るわけですが、キリスト教と仏教の接点を見いだす為に書いたフィクションです(ただし森田くんのお祖母さんがキリスト教徒であったことは事実みたいです)。
信じがたいほどに残酷なキリシタンへの弾圧は、1860年まで続いていて、僕たちにはまるで影響がないように思われたものが、実際にはなんらかの形でかかわっていて、再考するとそんなに昔の話でもない、ということを表現したかったのと、歴史を遡るミステリーみたいなものができないか、と考えてのことでした。
いかがでしたでしょうか。
●「大人」としての駐在さん
8章には、冒頭の駐在所破壊以外に、あまり駐在さんが登場しません。
これはいたずらに駐在さんを登場させてしまうと「大人としての駐在さん」が薄まってしまうからです。
つまり、フィナーレにある駐在さんが僕たちを初めてぶつシーン。
このシーンの重要性を薄めないためのことで、駐在ファンのかたには、まことに申し訳ないことです。
所詮どんなにいきがっても、子供たちは大人の加護があるからこそ、自由にふるまえること。
その重要性みたいなものが伝わればいいなぁ、と。
今、警察官が高校生を殴ったら、間違いなく全国ニュースです。
でも、僕たちは突出した悪戯っ子でしたから、実際は怒る大人がたくさんいてくれました。
西条くんが最後に言う台詞「たまにはうたれたいパンチもある」。
勘違いかも知れませんが、今の子供たちも、誰かに叱られたいんじゃないか、という思いがありました。
また、そういう世の中のほうがよかったなぁ、とも。
犯罪の低年齢化は、社会問題になっていますが、それは政治や警察のせいだけではないのかも知れません。
●「フィナーレ」について。そして「グランドフィナーレ」
ぼくちゅうでは、章最終話を「フィナーレ」と呼び続けて来ました。
これは音楽などの最後を言うイタリア語に起源を発する「フィナーレ=ファイナル」からとっているわけですが、当然単なる「終わり」とは意味が異なります。
劇や音楽がそこに集約されて終わって行く、そんな感じを表す最もいい言葉と思って使っています。
そして各章にフィナーレがあるように、グランドフィナーレ「最終章-最終話」があります。
ここにきて、少し意識しはじめました。
本来は5章終了後に入るはずでしたが、コメントでいただいた「継続要請」にうたれまして、6~8章を追加してきました。
結果としては小説としておもしろくなってきたように思うので、悪くはないと思っているのですが、半フィクションとしてきた本来の「ぼくちゅう」とは、少し違って来ました。
いえ。むしろ前編のほうが、細かいフィクション部分は多いのですが、やはり後ろにくるにつれ、いろいろな話をつないだり、創作しなくてはならなくなります。そうしないと話が笑えなくなってしまうからなのですが。
すでに最終章-最終話「グランドフィナーレ」は、ほぼできあがっています。これは5章後に書いたものなので、そのままとはいかないのですが。
そこに駐在さんのラフ画があって、少し哀しそうな顔をしています。
●そして9章へ
つづく→
出会いがあれば、別れがあるものだとはわかっていても、悲しいものですね…、、
9章楽しんで読ませてもらいます!!
>ぷにょんさん
はい。避けて通れません。
1200日戦争くらいにすればなんとかなるかも知れませんが、とんでもない留年生ということになります。
毎日愉しみにしてただけに、最終話の話が出ると切ないですねぇ…
その日が来るまでチカライッパイ愉しませていただきます。
>くろわっさん
8章、お疲れ様でした。ありがとうございます。
1234567ふめたらいいなぁ~~♪
どの章もおもしろく、感動もできるのですが、この8章はいろいろ考えさせられ、すごい深いお話だったように思います。 ありがとうございましたm(_ _"m)
最終章ですかぁ・・・終わらなければいいなって
思ってしまうけど、そういうわけにもいかないですもんね;; 私もその日が来るまで力いっぱい楽しませていただきます。
第8章、とても深かったです。
あとがきを読んで、もっと深いことを知りました。
仲の良い友達にも話せないこと、この8章にはいっぱいあって、
似たことで、自分自身に関わっていることも、いくつかあって、
読むのが辛い部分もありました。
でも、読んで良かったし、たくさんの人が読んだことも、
すごく良かったと思います。
ふーむ、途中の章で和菓子屋のレフティとかも入るのかな。
グランデフィナーレは12賞くらいですかね?
うーむ早く知りたいような知りたくないような。
終わってしまうのは寂しいけど、
終わりがあるから、美しいんですよね。
あとどのぐらいでしょうか?
とにかく、最後まで着いていきます。
8章、お疲れ様でした。
終わってしまうの寂しいですね・・・
私は特に去年の11月ごろにようやく存在を知ったので、もう少し楽しみたいな・・・と思ってたら次章が最終章ではなさそうですね。ひとまず、ホッとしました^^;
ままちゃりくんも西条くんも無事卒業できたか・・楽しみに最終章を待つことにします^^
グランドフィナーレにむけて頑張ってください☆
どうか
このブログが、みなさんの力になり、
みなさんのコメントが、くろわっさんの力になるように。
願ってやみません。
毎章ごとに、色々考えさせてくれる、ぼくちゅう。
今回も、大きな問題提起でした。
重すぎて、考え込むと止まらなくなる。
だけど、受けとめてしっかり考えないといけない事だけはわかっていたので
女性としては辛い期間でした。
物事を深く突き詰めて考える人が減ってきている昨今にあって
ぼくちゅうの存在意義はとても大きいと思います。
そして、書籍化が決定し、映画化に向けての動きも活発になってきました。
このなかで、私たち日本人が、何を考え、何を大切にするかを
もう一度真剣に考えてくれる人が増えてくれたら、と
心から願って止みません。
くろわっさん お疲れ様でした。
そして、今後も頑張ってください。
私たちもついていきます。
1234567がすぎている!ちなみに今1236243です~~~。
ふまれた方いいなぁ^^おめでとうございます♪
>のりぞおさん
>毎日愉しみにしてただけに、最終話の話が出ると切ないですねぇ…
殿。そろそろお覚悟を。
>みおさん
>どの章もおもしろく、感動もできるのですが、この8章はいろいろ考えさせられ、すごい深いお話だったように思います。
ありがとうございます。
たぶん映像にするなら、8章はおもしろいと思いますね。
ちょうど映画化を意識し始めた時だったので、いつもそれが頭の中にありました。
ぼくちゅう映画3 あたりはこれかなぁ。
>せいこさん
>仲の良い友達にも話せないこと、この8章にはいっぱいあって、
似たことで、自分自身に関わっていることも、いくつかあって、
読むのが辛い部分もありました。
はい。中の良い友達にも話せないこと。「ママチャリになら」と思ったかた、けっこういらっしゃったようで、秘密のコメントとかメッセージ、たくさんいただきました。
話の内容は、多分その人たちに対する「ママチャリの答え」でもあったわけです。
>ペンギンさん
>私は特に去年の11月ごろにようやく存在を知ったので、もう少し楽しみたいな・・・と思ってたら次章が最終章ではなさそうですね。ひとまず、ホッとしました^^;
そうですね。どのタイミングで最終章にするかは考えなくてはなりませんが。
その前に映画公開になると「つりバカ日誌」みたいに、延々と終わらない、という可能性もないではありません。
寅さんにいたっては48話くらいありましたからねぇ・・。
>まりもくん
>ふーむ、途中の章で和菓子屋のレフティとかも入るのかな。
和菓子屋のレフティの話を書くかどうかというのは、問題ですねぇ。これはノンフィクションになるわけですが。
ちょっとつらいですね。
>琴音さん
>あとどのぐらいでしょうか?
うーん・・・・。わかりません。
ネタつきたときですね。
>papaさん
>どうか
>このブログが、みなさんの力になり、
>みなさんのコメントが、くろわっさんの力になるように。
はい~。コメントはありがたいですね~。
これはもうひとつのぼくちゅうですねぇ。
コメント書く時は、ママチャリにもどってます。僕。
>みゃあさん
>物事を深く突き詰めて考える人が減ってきている昨今にあって
ぼくちゅうの存在意義はとても大きいと思います。
そうですね。
歌とかは、メッセージ性強くなってますけどね。
逆に歌はそればっかりで、逆に重みがなくなっているような・・・。
たぶん、みんな暗中模索に入ってるんだと思います。
>1234567 ふまれたかた~。
おめでとおございます。気づいてないのかな?
>所詮どんなにいきがっても、子供たちは大人の加護があるからこそ、自由にふるまえること。
ああ、そうなんですねえ…。
そういわれると、大人が居なきゃ生きていけないということを感じます。
稼いでくれて衣食住用意してくれるのも、危険から守ってくれるのも、遊びに連れて行ってくれるのも…全部大人なのですね。
もっと親や周りの大人に感謝しなくてはなりませんね。
もちろん、くろわっさんも…。
8章、笑える話ばかりではなかったけれど、やっぱり笑わせて頂きました。
泣きもしました。考えもしました。
…ぼくちゅう以外でこんなところありません。
いつもありがとうございます。
終わりも遠く無いようですが……うう、残念です。
今までになく苦しい話題を含んだ章だったように思います。でも、そもそもぼくちゅうが「笑える」小説だったからこそ、変な先入観を持たずに読めたような気がするんですが・・・。だから余計に心にしみました。「ぼくちゅう」という習慣ができてしまった今、
終わってしまうという事が考えられないです(^^;
8章本当にお疲れ様でした!
このコメントは管理人のみ閲覧できます
始まりがあれば必ず終わりがある。
頭で分かってはいても、、、、、
釣りバカ日誌のパターン、僕としては大歓迎です。
でも、そうなるとぼくちゅうじゃなくなってしまいそうでもありますね。
くろわっさんのブログですからくろわっさんの思うとおりにしてください。
ファンは黙ってついて行くだけです。
え~、まずは…
第八章お疲れ様でした。
ぼくちゅうと出会ってまだ一ヶ月もたってないのに、こんなに引き込まれてますwww
羨ましくもあり、懐かしくもあり…
ママチャリ君達と同じ時間を一緒に過ごしたかったなぁ…
最終回…いづれは来るのは判ってはいるけれど…どこまでもついて行きますよ(*^^*)
それがアタシら読者の中のぼくちゅうなんです。きっと。
7章の「母と子」辺りからコメント入れさせていただきました。
笑って泣いて、考えさせられて・・
子供達を寝かしつけた後1人で飲みながらまったりと深夜UP待ってるのが楽しみになってました。
子供達の事や仕事の事、その他諸々にちょっとまいっていたけど(現在進行形ですが)、ここ読んで随分パワーをもらっている様な気がします。
駐在さんの哀しそうなラフ画・・
見たらきっとまた泣いちゃうだろうな・・
とりあえずは9章のUP楽しみに待ってます。
最終章のことは 考えないようにしましょうよぉ~
「ぼくちゅう感染者」治りませんからぁ~
くろわっさんが望めば、みんなが憑いて行くんですからぁ~
まま、ひとまず 久しぶりにコーヒー入れましたから
>里海さん
>8章、笑える話ばかりではなかったけれど、やっぱり笑わせて頂きました。
>泣きもしました。考えもしました。
>…ぼくちゅう以外でこんなところありません。
ありがとうございます~。
>終わりも遠く無いようですが……うう、残念です。
実は最終章には「10章」と書いてありまして、まぁ、いろいろと感慨にふけっていたわけです。
でも、ある程度コマーシャリズムにのって、僕の思惑からは離れていると思うので、そうはならないでしょうね。
8章を終えて、本当にお疲れさまでした。
笑って、泣いて、考えて、飽きる事の無い日々でした。
グランドフィナーレの事を今、考えると、寂しい限りです。
最後までお供しますからね。
そして、本当に有り難うございました。
>ざくろさん
>今までになく苦しい話題を含んだ章だったように思います。でも、そもそもぼくちゅうが「笑える」小説だったからこそ、変な先入観を持たずに読めたような気がするんですが・・・。
僕も第三者とながめてそう思います。
それなりに読む方が増えれば、やはりそれなりの役割はありますね。
と、僕は思うのですが。
そうなんですよね…今、警察や大人が高校生などの子供に暴力を振るったら大問題ですもんね…
俗にいう今の若者として周り見て思うのは先生と生徒、友達、恋人も含めて本音でぶつかる、時には体を使ってお互いの感情をぶつけあう。
自分も含めてそういうものが欠けてるような気がします。
>秘密のコメント 00:59さん
いえ。今回の章は落ち着いたもんでしたね~。
7章はたいへんでしたが。
はいはい。精進してくださいね(笑)。
>テラsan
>釣りバカ日誌のパターン、僕としては大歓迎です。
でも、そうなるとぼくちゅうじゃなくなってしまいそうでもありますね。
これはむずかしいでしょうね。
最長でも700日しかないわけですから。
1年生にもどると駐在さんがおりませんので成り立ちません。
それぞれひとりずつの番外編を書くということもできますが。
もうひとつ言えば、僕がほかになにか書いても、なかなかぼくちゅう以上にはならないと思いますねぇ。
>るみちょさん
>羨ましくもあり、懐かしくもあり…
>ママチャリ君達と同じ時間を一緒に過ごしたかったなぁ…
ある意味、こうやって「ぼくちゅう」と過ごしている方がおもしろいようにも思います。
ちゃんと同じ時間、すごしているじゃないですか!
>あとむさん
>子供達を寝かしつけた後1人で飲みながらまったりと深夜UP待ってるのが楽しみになってました。
ああ。なんかこのコメントうれしい。
なんでだかわかんないけど。とっても。
夜の電車からね。家々の窓を見ていると、あーあそこに暮らしがあるんだなーって思うんですよね。
でもその窓のひとつも、僕は知ることはないわけです。あたりまえですが。
とても離れていて、まったく知らない人の暮らしに、ぼくちゅうがいると思うと、なんかうれしいです。
>2児の母さん
>くろわっさんが望めば、みんなが憑いて行くんですからぁ~
憑いてくるなよ・・・。生き霊か?
ったくもー。
でも1章ずつが終わると寂しくなってくるのは、しかたないみたいですねぇ。
もともと最終章の原稿には「10章」って書いてありましたからね。それ見て、ふと。
>兵庫のわきやん
>グランドフィナーレの事を今、考えると、寂しい限りです。
ほんっとそうですね。
まぁ、ネタ続けば1章あたり今1ヶ月くらい?
がんばればあと1年続けることはできるんですねぇ。
でも、1年分のネタってすごいような。
>お、まりもくん、いいコメだねー
>俗にいう今の若者として周り見て思うのは先生と生徒、友達、恋人も含めて本音でぶつかる、時には体を使ってお互いの感情をぶつけあう。
>自分も含めてそういうものが欠けてるような気がします。
まぁ殴るかどうかはともかく、本気で怒る大人、いなくなってしまいました。
そのうち百科事典でしか見ることできなくなるかも知れませんね。
でも、そうなってきていることに気づくことが、今のとこ大事なんですよ。
無理に変える必要はありません。思ってる人が多ければ多いほど、”動き出す”もんなんです。
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最後のは、何かの伏線なの?
こいつらに悲しいことは、出来れば一つも起こってほしくない…
いつの間にか感情移入していた訳ですが、本当そう思えるようになってきている今日この頃です。
中学時代の部活にて、初めて殴られたとき、何か認めてもらえて気がしました。
っていうのを思い出しました。
ぅん、Mじゃないよー
マリアさま。 ”感謝” でも、実際は人間の大人たちや、ママチャリさんの廻りにいる、ナイスなお友達。 もちろん駐在さん!!!
8章はキリシタンの勉強(キリスト教徒ではないが・・・)、雪山での遭難回避術(雪山絶対に行かないし・・・)色々勉強させて頂きました。
為になる”ぼくちゅう”でも、心おきなく笑える”ぼくちゅう”まってまぁ~~~~すぅ。
マリア様はママチャリさんたちを見捨てていなかったんですね。
それに駐在さん。普段はゴタゴタなのに、いざとなると保護者のような暖かい態度。
ナワとムチ・・・じゃなくって、なにか父親のようですね。感動しました!
以前中学校で教師をしていたので「子供を叱る」ってことに同じ思いがありました。
俺は「叱る」ことを「子供への愛情」のつもりで中途半端には叱らず真剣に徹底的に叱りました。
たとえ生徒に嫌われても、それが大人としての役割で「おまえが心配なんだ」っていう気持ちを表したかったからです。始めは生徒からは嫌われてましたが、俺が転任するときはみんな涙を流してくれました。
駐在さんの平手打ちのシーンでそのときのことを思い出しました(俺は手は出しませんでしたが)
何か難しい時代かもしれませんが、大人が子供の目から視線をそらさずに向き合うことが子供の成長には必要だと思います。
駐在さんのように。(俺も大人気ないのでイタズラした生徒とよく追いかけっこしてました(笑))
俺は、ずっとぼくちゅうをみていますが
率直いって最後の駐在さんがママチャリさんたちを叩いたところは好きでした
やっぱり駐在さんという大人そうゆう人たちの温かさが滲み出ていてなんか嬉しかったです
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この章今までで(1~7章)で1番好きです!
駐在さん、カッコイイです!
8章、最高でした。
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「グランドフィナーレ」 について触れられていますが
ぼくちゅうは “ここまで” よりも “ここから” の方が長いのですから凄いです。
フィナーレにはさすがに真面目なことを仰っしゃるガンさんや papa さんのコメントも
感動を深めてくれますネ。
7章までとは違うしんどさがあったであろう8章。
書き上げて下さり有り難うございました。
お疲れ様でしたm(_ _)m