ぼくたちと駐在さんの700日戦争

僕の願いとはうらはらに、能瀬さんの事務所はY市にありました。
その間、約25分。
ほぼ、尻さわられっぱなし。

ようもないのに、時おり能瀬さんが

「ふふ。。」

その都度、激しい悪寒が走ります。
僕は将来絶対絶対、女性のお尻にさわったりしないようにしよう！（繰り返しますがこの決心はあっけなく崩れました）


Y市街地のメイン通り。4階建ての雑居ビルの4階に事務所はありました。
4階建てというのに、そのビルにはエレベーターはなく、僕たちはぞろぞろと細いコンクリートむき出しの階段を上ることになりました。
どこの建物でも嗅いだことのないような焦げ臭い不思議な匂いと、階段踊り場に置かれた得体の知れない段ボール。
薄暗い明かりの照らすその光景は、見るからに「裏社会」的なところがあり、不思議な興奮と圧迫感がありました。

小さなビル。4階には4つほどのテナントがありましたが、明かりが灯っているのは一部屋だけ。
それが『栄光ファイナンス』。能瀬さんの事務所のようでした。

能瀬さんがそのスチール製の扉を開き
「社長。ただいまもどりやした」。

続いて若い衆2人が入ります。

彼らの背中ごしに、事務所の一番奥。立派な机があって、そこに横を向いたまま座る男の姿が見えました。
ここでいう社長。
その男が横を向いたままで

「おお。早かったな」。
低いしゃがれた声で言いました。

早い？もう11時近いのに？

が、そこにケンちゃんが入ったとたんに

「げっ！す、鈴白のケン！」
社長がいきなり向き直りました。

「おー。菊水のぉ。ひさしぶりだなぁ」。
「きゃ、客人って・・・す、鈴白の・・・」。

過去になにがあったのか、かなりの驚きようです。

ケンちゃん。
「菊水のぉ。そうあわてんな。今日はビジネスで来たんだからよ」。

「ビ、ビジネス・・・って・・・」。
絶句しながらも、能瀬さんたちとケンちゃんを交互に見直す社長。

「おお。てめぇらも入れ」。

ケンちゃんに言われて、僕たち3人が事務所に入ります。

初めて見る「金融事務所」は、想像したよりはるかに奇麗でした。
社長の上には神棚があり、おみきが添えてありました。
その下にお約束の横長の額縁。
文字がなぜか『任　侠』とかではなく『初　春』？
そのさらに下。社長の後ろが大きな窓になっていて、そのワイヤー入りガラスが、外のネオンが灯る度に時おり赤くなるのが妙に印象的でした。

「ケン。なんだ、その学ランどもは？」

「ああ。俺の舎弟たちだ」。

そう言いながらケンちゃんは、応接セットのソファに勝手に腰掛けました。
西条くんがその横に座り、僕と孝昭くんは、ソファの後ろ側に立ちました。

能瀬さんが社長になにやら耳打ちしています。
社長は、2度ほど首を縦にふると、ようやくケンちゃんの真向かいの独りがけに、どっかと座り込み

「で？ケン。ビジネスってのは？」

「ああ。今日、俺の舎弟が能瀬らにかわいがってもらったみたいでな」。

いや～～～。ただやられてただけな気もしますが。

「見ろや。この傷。かわいそうによ」。

西条くんの頬をさしますが。
それってケンちゃんがやったんじゃなかったっけ？

すると社長。なにをあわてるでもなく
「その落とし前つけろとでも？」

「いや。そうじゃねぇ。今お前んとこでカタにはめてる水道屋な」。

「ああ。坂本か？」

「ああ。あそこの手形、買い戻させてもらおうと思ってよ。てめんとこの常務が快く引き受けてくれたんでな？」

「ほんとか？能瀬」。

すでに打ち合わせ済みなのか、能瀬さんもあわてる様子もなく
「ええ。まぁ」。
事務的にうなづきました。

社長。鼻で笑いながら
「鈴白のぉ。てめぇもこの世界は知ってんならわかってんだろ？善意の第三者ってもんをよ」。

また出た。善意の第三者・・・。

「いくらなんでも、こればっかぁ・・・・」。

と言いかけたところで、ケンちゃん。
テーブルの灰皿に目をやると
「なぁ。菊水のぉ。これもどっかから押さえたんだろうがよ。大理石か？」

「ああ。本大理石だぁ。ちょっと手に入んねぇ舶来もんでな・・・」。

「そっかぁ。西条」。
なにか西条くんにむかって合図すると

うなづいた西条くん。
いきなり

「せやぁ！」

大理石灰皿、正拳付き！
パッカリ割れる高級舶来品。

「げっ！なな、なにを・・・」。

「うん。これ。落とし前な。舎弟は空手やってんでなんでも割りたがるんだ」。

「ええええええ！」
突然の展開に再び慌てふためく社長。

ケンちゃん、さらに部屋を見渡すと
「お！あのでかい花瓶！本ミカゲか？」

「ああ。あれはシンガポール製・・・ま、待て！ケン！は、話、き、聴こうじゃねぇか！」

「いや。あっちの置物のほうが高そうか？西条」。
完全無視。

西条くん。
「うん。なんでもいいや。割れるなら」。

割れるならなんでもいいって・・・。なんなんだ・・・。

「は、話聴くって！わかった！」。

「そうこなくっちゃな。タダとは言ってねぇ。元金で譲ってくれって言ってんだ」。

「ああ。まぁ・・・他ならぬてめぇの頼みだ。ゆ、ゆずってやろうじゃねぇか」。

社長。能瀬さんを呼びつけると、なにやら紙を受け取りました。
坂本くんの家の手形です。

「ウチにあんのはこれだけだ。50万が4枚」。
テーブルに並べます。

「で？元、いくらだって？」

「ウチは80万で買った」。

「ん。80万な！」
「ああ」。

「西条」。
「おお！花瓶だな！」

「まままま、待て！待て！ろ、ろくじゅうまんだ。悪かった！」

下がっていきます。

ケンちゃん。
「神棚ごとやれ」。

「おお！」

「わ、わかった！ご、五十万だって！本当だ！」

ガンガン下がっていきます。
それにしても50万借りるのに200万円？

「ん。あともうひとつだ」。
「な、なんだってんだ？」

「押さえてんだろ？あそこぁ指定業者らしいじゃねぇか」。

「ふ・・・。さすが足洗ってもするどいなぁ。ケン。ああ。わかった」。

首だけで子分に合図をおくると、なにやらスチール戸棚から書類を持ち出してきました。

「ほら。市の指定業者証だ。どうせウチにあってもなんの役にもたたねぇからな。くれてやる」。

そんなものまで担保におさえるのか・・・・。
どうやらケンちゃんは、彼らの手口を熟知しているようです。

ケンちゃん。ようやく落ち着いた口調で
「じゃ。領収証切ってくれ。今、小切手で精算するからよ」。
「ほー。景気いいなぁ。ケン」。
「まぁ。ケーキ屋だからな」。
「はは。ちげぇねぇ」。

事務所全体が笑いにつつまれ、緊張した空気がほどけ、それからそれなりに会話がはずみました。

「ところで鈴白の2代目ぁ元気か？」
「ああ。おかげさんでな。元気なようだ」。

この、なごんだ空気にのって、僕が社長に
「あの。うかがっていいですか？」

「あ？なんでぇ。学ラン」。

「あの・・・なんであの額縁・・・初春・・・なんでしょう？普通はその・・任侠とか・・・」。

「あ？あれ？」
突然しゃがんだ声がハイトーンになる社長。

「お前。学生のくせにモノを見る目があるなぁ」。
「あ。いえ・・・」。

なにかすごい人が書いたものらしい。

と、社長
「あれはな。孫のみーちゃんが書道で金賞とったやつなんだよ～～～～」。

孫の・・・みーちゃん・・・・。

「いやぁ。見る目がある！うん！うまいだろ？」

「あはは～・・・そ、そうですね」。

それで・・・『初　　春』。

ケンちゃんは、例の手提げ鞄をゴソゴソさせていると、また帳面のような書類を出し始めました。
それにしてもケンイチさん。50万もの大金・・・見も知らぬ西条の友達のために？

それより少し早く、能瀬さんが領収証を切ってきて、テーブルにのせようとすると、
ケンちゃん。これをいきなり取り上げ

「うん。50万小切手で正に領収、な。いいだろう」。

そう言うと

「じゃ。これ50万円分」。

と、小さな紙の束を渡しました。

「な！な、なんだこれ！ケン！」

「ん？それ。うちのケーキの引き換え券だっ！」

「え～～～～～!?」

「それがウチの小切手だ。銀行の小切手なんてひとことも言わなかったぜ？」

「ば、ばかやろーー！こ、こんなもんで・・・」

「こんなもんんんん？なんだぁ？ウチのケーキはそれだけの価値がないってかぁ？え？菊水のぉ！」

「え・・・い、いや・・・そ、そうは言わねぇが・・・」。

「おいぃ。このテーブルは黒檀か？あ？いくらだ？こりゃ？え？」

「わわわ、わかった！わかったから！これ以上壊さねぇでくれ！」

「黙って受け取りゃいいんだ。てめぇのイロ(愛人)にでもプレゼントすりゃいいだろぉが！」

「う・・・。し、しかたない・・・」。

社長。不満タラタラな表情で、50万円分の引換券を能瀬さんに渡します。
気の毒・・・。

が、
するとその枚数を確認していた能瀬さん。

「あの・・・社長・・・・」。

「なんだ！」
不機嫌この上ありません。
もっともだ。

「いえ。あの・・・この引換券・・・・」

「ああ」。

「今週末が期限なんですが・・・・」。

「ええええええ！き、期限付き？」

するとケンちゃん。
「当たりめぇだろ？生モノなんだからよっ！」

そうか？生モノか？引換券。
今週末まで50万円分のケーキ？

能瀬さん
「あ、あとですね」。

「ああ？まだなんかあんのか!?」

「はい・・・注意：ご注文が殺到した場合はご利用できない場合もございますって・・・・」。

鬼だ・・・ケーキ屋メルヘン・・・。


今日の一句：標語など　うかばないけど　今日もワンクリ

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